2012年8月8日水曜日

ミレニアム・マンボ


2001年台湾・フランス
原題 千禧曼波
英語題 Millennium Mambo

監督 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
脚本 朱天文(チュー・ティエンウェン)
製作 朱天文(チュー・ティエンウェン)、廖慶松(リャオ・チンソン)、エリック・ユーマン
製作総指揮 黄文英(ホワン・ウェンイン)、ジル・ジマン
出演者 舒淇(スー・チー)
音楽 半野喜弘、林強(リン・チャン)、Fish(フィッシュ)
撮影 李屏賓(リー・ピンビン)




この映画、切りっぱなしの洋服とか、コンクリート打ちっ放しの建築みたいな感覚だ。

一歩間違うと放置された工事現場のようなものになりがちだ。
この作品は、かなり紙一重。ギリギリだろう。


最後に語るが、普通の映画なら当然やっている処理を、放棄しているのである。

しかし、役者のキャラクターとカメラと音楽で乗り切っている。それらの使い方のセンスで押し切ったのだ。

まず出演者が、ヒモ男役に、元ヒモ男の素人。
その恋人に言わずと知れた舒淇(スー・チー)

典型的なヒモ男



そして、気配りのあるヤクザ役に、高捷(ガオ・ジェ)。この人役者だが本当に入れ墨入っているみたい。


この入れ墨、6年前の映画でも同じものを見た


ほとんど屋内撮影で夜遊びのシーンが多いがリアルである。
クラブで突発的に起きるケンカのシーンがすごい。本当にクラブで起きていることをそのまま撮ったような臨場感で、作り物には見えないのである。

クラブで暇に任せてバーテンダーに話しかける



また、ハウス音楽をこれほど、リアルに使った映画は見たことがない。
陶酔といかがわしさが、きっちりと表現されている。

自宅のDJブース


物語は、どうしようもない人たちのどうしようもない話で、息苦しい。ほとんどクラブでケンカしているか、自宅で痴話ゲンカしているかの長回しである。
台湾での野外のシーン は数秒だけ

台北では屋外に一切出ない。夜のクラブと自宅の部屋の中だけで話が成立している。
唯一、日中外に出るのがガオ(高)に車に乗せてもらって高速道路のトンネルを抜けたときだけだ。
しかし、日本(夕張・東京)では、野外がちゃんと描かれている。

外にしか救いがないという象徴?



ニウ・チェンザー。脇役。

最初から最後まで終わりのない、リアルなもめ事が描かれて終わる。


大久保駅前


唯一、夕張では、楽しく遊んでいるのだが、なぜ唐突に、夕張にいる? 女一人でいきなり行くか? なぜあの悋気のヒモ男が一人旅を許した? とつじつまが合っていないが、最後に監督が理由を明かしている。

夕張



DVDのおまけ映像で、野上照代という一癖ありそうなお婆さんが出てきて対談している。長年黒澤明のスタッフだった人らしい。
見た目は太った老人で普通に話しているだけなんだろうが、醸し出す雰囲気が威圧的。
黒澤の「生きる」以降の全作品! 「七人の侍」、「用心棒」「天国と地獄」など全部だ! に関わってきたというオーラだろうか。

かなり印象の強い人

この人が、ホウ監督を少し小僧扱いで、遠慮会釈なく話すのがおもしろい。
ホウ監督もいつになく乗ってしまって、自分の作品のかなり深いところまで、言ってしまっている。
Good Job 照代! 長生きして欲しいものである。

その核心部の一つが
「映画は現実と等しい」と監督自ら言っているところだ。

しかしこの映画は、現実と等しいのか? 冒頭にも書いたように、つじつまが合わなかったりや疑問点がたくさん残る物語だった。
そもそも映画で現実と等しくするのは不可能だ。しかし現実の心象風景とは(かなり)等しい。
と言いたいのかもしれない。

野上に乗せられて、だいぶ語ってます

監督自ら語るには、現在・過去・想像・幻想、の4パートに分かれた脚本で、夕張は、幻想の部分のつもりで撮っていたのだが、撮ったあとやっぱり編集で、現在の話だけにまとめた! んだそうだ。
脚本の意味がない! 筋が訳分からんのも頷ける。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)ひどい無茶するが、結果的に作品として見られるものにまとめしてまう力技に脱帽するしかない。

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